アトリエタリエス (Atelier TLIS) > TLIS BLOG

2009年03月30日

Joseph Joseph 曲がるまな板 Chop 2 Pot

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以前、ジョセフジョセフ(Joseph Joseph)のフルーツ/野菜カッティングボードを紹介しましたが、今回もまたカッティングボードの紹介です。

自分はこの10年以上、ずっと木のまな板を使用してきました。昨年末にバーカウンターを自宅内に制作してから、調理スペースが増えたことにより、格段に料理をする機会が増え、調理場自体にも色々特風を重ねるようになりました。

この数ヶ月、いろいろとキッチンツールやバーツールなどを探して回っているのですが、数日前に、ジョセフジョセフのちょっと変わったまな板を購入しました。


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写真左は、食材を切った後に、鍋等に食材をどのように移すかの実例です。ちゃんと柄もついているので、非常に移しやすいといえるでしょう。右側の写真は、カラーバリエーション。私の購入したのは白ですが、これは、バーカウンターの天板の色が白ですので、それに合わせました。

さて、キッチンツールで大切なのは、使用感。デザインやアイデアが良くても、使用感が悪ければ、その価値は減ってしまいます。

食材を切った後に、そのまま折り曲げて鍋などに移せるというのは、非常に便利で、調理の手間が省けます。調理は時間との闘いですので、少しでも余計な手間が省けるというのは大きなプラスだと思います。

ただし、その機能性が、使用感を減じてしまう面もあるというのは、否定できない事実です。このまな板は折り曲げ機能が付加されているために、まな板としては非常に薄く、また、この製品のアイデアと機能性の要の部分である折り目の部分が切るときの邪魔になる場合があるので、単独でまな板として使用すると、食材が切りづらいというのが、正直なところです。特に、シンクの角の部分で食材を調理している方には、このまな板だけでは不安定で、逆に使いづらさの方が目立ってしまうと思います。

しかし、通常使用しているまな板を下に敷いて使用してみたところ、それらの問題点はかなり改善されました。今まで使用していたまな板も捨てずにとっておいて、その上にこのまな板を敷いて調理すれば、アイデアのプラス面を活かすことができるでしょう。

まな板自体を折り曲げてしまうというアイデアは素晴らしいと思います。補助的に使用するまな板という位置づけで使っていれば、かなり有効に使用することが出来るのではないでしょうか。
posted by NT at 10:34| 生活雑貨 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年03月15日

GR DIGITAL Gallery NT 公開


GR DIGITAL Gallery NT


今まで RICOH GR DIGITAL で撮影してきた写真のまとめギャラリーをデザインしました。以前、写真ギャラリーは Smoke Stings Studio 内のカテゴリーだったのですが、今回の写真ギャラリーはアトリエタリエス内のカテゴリーに分類されていまし、今までの写真ギャラリーもそのうちアトリエタリエス名義に変更を行います。


また、それに伴い、アトリエタリエス内のウェブデザインのページも更新を行いました。

今回の写真ギャラリーはMovable Type を応用したものですが、いわゆるブログの体裁をとっていないのが特徴です。今後、写真作品はこちらのギャラリーにアップロードしていきますので、よろしくお願い致します。
posted by NT at 14:26| 更新日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年03月06日

あのころ知った羽根飾り




自分の未来への踏み台は、自分の過去の中にしか存在しない(そして、現在は未来の過去となる)。

生徒に対して、自分はよくそんなことを言う。

今日は、久しぶりに昔録画した「シラノ・ド・ベルジュラック」の映画のビデオテープを観た。

高校2年生の時に私は、この作品を高校の文化祭のための演劇作品として脚本化した。もうずいぶん昔の記憶なのですっかり忘れていたのだが、映画を観て思い出した。

ちょうど、「シラノ・ド・ベルジュラック」が映画化された年だった。めったに映画を見に行くことのない私が、珍しくわざわざ渋谷の BUNKAMURA まで映画を観に行った作品である。

今考えてみると、私がずっと大切にしていたいと思っているものが、最もわかりやすいかたちで、しっかりとこの作品の中で描かれていることに気づく。

たぶん18年前、岩波文庫の「シラノ・ド・ベルジュラック」を読みながら、高校生向けの脚本として手直ししている最中に、それが少しずつ刷り込まれていったのだと思う。

生きていれば色々なものを手に入れるけれど、それはどんどん消えていってしまう。どんどんどんどん消えていって、最後に残るものは何だろうか?と考えたその答えの示唆が、しっかりと示されているのだ。決して奪われることのないものとして。

自分にとっては、「シラノ・ド・ベルジュラック」は恋愛映画ではなかった、ということなのだと思う。
posted by NT at 20:49| 映像 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

 

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