私が美術業界に関わって既に10年以上経ちました。元来美術系ではない私でしたが(どちらかと言えば音楽系)、私はその間に、自分の仕事上の必要性もあって、さまざまな美術の要素に関わることを積極的に行い、「作品制作」と呼べる行為も(少なくとも一般の人たちに比べれば)、数多く行ってきております。大したレベルの作品が制作できているとは思いませんが…。
アートという言葉が現在の意味の「アート」として使われるようになったのは、人類の長い歴史を考えると、ほんの最近のことです。原初のアートとされているものの多くは単なる呪術の一様式ですし(「使用」目的を持った創作物、つまりデザインに近い)、西洋絵画や彫刻の多くは、元来権力者や宗教の庇護のもとに、正確で細密な描写力を求められてきたものでした(制作者の内的世界の実現を主とせず、依頼によって制作するという意味では、職人に近い)。
アートが現在使用されている「アート」の意味として使用されるようになったのは、テクノロジーが発達し、芸術家(アーティスト)が受け持っていた多くの部分を様々な機器で代用できるようになってきてしまったからです。
単純な例を挙げるならば、カメラです。カメラの出現によって、具象系の芸術家たちは壊滅的な打撃を受け、ただ単に正確で細密な描写力を求めるやりかたでは立ち行かなくなってしまいました。だからこそ、自らの内面や世界観の実現を旨としたり、目に映る形や色をそのままの形や色として捉えないことにより、テクノロジーで実現し切れていない分野へと歩みを進めていったわけです。
その後、アートは「アート」として様々な分野へと分化していきましたが、基本は変わりません。近代以降のアートはずっと、制作者が自己の内面(世界観)を追求し、素材(画材)を組み合わせてそれを表現する、ということに終始し、テクノロジーの発達がカバーしきれない世界を追求することになったのです。それが「人」としてアートを追求することであり、「個性」という言葉の正体でもあります。
そうなってくると、アートというものは、全ての人間の行為に及んでくるのです。「人」としての世界観と思考があり、素材を組み合わせて制作(創作)がなされ、「個性」が発現されていれば、それはアートとしての創作物だと言えるでしょう。
ですから私には、「先生や親は生徒や子供の将来を作り、会社員は社会と経済の流れを作り、子供たちは愛情と未来を作り、ありとあらゆる人間たちが何かを作っているように見えます」。そこに個性と世界観の発現があれば、私はそれをアートと認めるべきだと思います。現代アートの流れからいって、それは、何ら不自然なことではありません。


